大阪の昔・大阪の発展の起源

大阪の昔・大阪の発展の起源
大阪は東京と違い、古来より自然と人々が移り住み、河川が縦横無尽に流れ、国内流通の中心として、摂津ノ国は「水都」とも呼ばれていました。石山本願跡を豊臣秀吉が、大阪の象徴ともいえる大阪城を築き、各地の優秀な役人や、京都をはじめとした優秀な職人を呼び寄せ、天下の台所とも呼ばれる港湾都市に発展したのです。

そういった背景から、この大阪の地が、豪商、為替問屋とよばれる大商人を育んだのです。
弊社のある船場の北久宝寺のあたりにも船着き場があり、戸籍管理や教育の場となる、住人が住人の為に建立した寺院があったのだと思います。
大大阪時代を経て、昭和そして平成へと時代が進むにつれ、さらに多くの人が移り住み、現在の様に超高層ビル、超高層マンション等が次々と建設されてきました。

我々の街、大阪

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数々の優秀な人材

大阪には、武士社会とはそもそも違ったコミュニティーが存在し、元々根付いた町人文化が進化しています。 大阪から、優秀な人材排出をするため、大阪船場の適塾(大阪大学の全身)が開校され、その一人には福沢諭吉もいたのです。福沢諭吉といえば慶応義塾大学創建や学問のススメなどで有名ですが、実は大阪の適塾が輩出した人物なのです。大阪の人というと、面白くて気さくで、飲んで笑ったら明日忘れていると。これがまさに町人文化なのです。しかし、仕事は「真面目で信用第一」「人と人」とが、ずっと笑顔でいれるように、皆それぞれが力を合わせて頑張っている。これも大阪の町人文化と思います。

昭和時代の大躍進

昭和の初期といえば大大坂時代といい、1923 年に起きた関東大震災の影響で、大阪に移り住んだ人たちも多く、大久保利通が遷都先に大阪を推薦したこともあるほど、日本経済の中心でした。この背景には第一次世界大戦より発生した大戦景気から、特に大阪船場を中心とした糸偏産業が、経済発展に寄与したと言われています。そして終戦へ。その終戦から4年後の昭和29年は大阪市政60周年を迎えた頃で、まだ大阪は米軍の占領下にありました。
しかし、その2年後、大阪は昭和 31 年より大坂港の復興事業を開始させ、同年に阪神高速道路の一部が開通、この頃「もはや戦後ではない」というキャッチフレーズが話題になりました。昭和 35 年には長堀川(現長堀通り)埋め立てを開始し、梅田を目掛けて私鉄、 地下鉄などの公共交通網を配置、そのインフラ整備をするべく急速に復興を遂げました。大阪はこの高度成長期を迎え、ベビーブームの到来もあり、世界的な優良企業を何社も生み出しました。そうして大阪は昭和 50 年頃から 60 年頃まで空前の好景気へと突入したのです。

平成の大阪ストーリー・大阪の街に期待すること

平成元年に大阪市政100周年を迎え、翌年には大阪南港に海遊館がオープンしました。平成6年に関西国際空港の開港、翌年に阪神淡路大震災で一部が被災、同年には大阪ワールドトレードセンター(WTC)がオープンと、平成の大阪はバブル経済崩壊後も、速度は軟化したものの、堅調に推移しておりました。
 平成16年には道頓堀川遊歩道の「とんぼりリバーウォーク」が開設され、同年にJR大阪駅のリニューアル工事が着工開始、平成23年には「あべのキューズタウン」がオープン、同年にJR大阪駅のリニューアルオープン。
現在は、放出から新大阪に延長された「おおさか東線」そして、グランフロントを含む梅北エリアの開発に、2031年に開通予定のJR西日本による「なにわ筋線」、さらには大阪万博の決定やIR開発とそのインフラ整備事業と、全国の法人や人々が自然と大阪に移り住む「大阪の隆盛」が大いに期待されています。